『 祇 園 小 話 』

_ 「先こう」



当日“先こう”姿でしっとりと舞われた京舞『黒髪』の艶姿

                                   (写真撮影は小西)


 先月“先こう”を写生しました。
       ※ 先こう(さっこう)の“こう”は竹カンムリに、略字では鳥居の形を下に書き、
        “こうがい”つまりかんざしの意を持つ字ですが、私のソフトでは生憎出て来ません。

 “先こう”は舞妓時代に別れを告げる舞妓の最後の姿であり、所謂“襟替え”をして舞妓さんから芸妓さんになる花街の一つの区切りの形です。
 先こうの折には尻尾のように髷先を長く伸ばした独特な髪型“先こう髷”を結い、黒紋付の正装姿で、お世話になった馴染みの御客さん達のお座敷を挨拶して回ります。そして別れを惜しむようにして「黒髪」を舞うのが恒例になっています。昔の花街はお馴染みさんの数も多く、一巡して挨拶を尽くすまで結構長い期間この姿をしたようですが、現在では1週間か10日程度のことになっています。

 今まで何人の舞妓の“先こう”を見送ったことでしょうか‥‥。
そして、そのうち5〜6度(5〜6人の)“先こう”を写生し、何度か絵にも描きましたが、舞妓有終の洗練された美しさや艶やかさに魅せられることもさることながら、その度毎にいつも一抹の心寂しい別れへの想いが走ります‥‥。
 現在、実際には“舞妓”を終えて花街を離れ故郷へ帰って行く妓も有り、また中には稀に結婚して行く妓も、そしてまた襟替えして引き続き芸妓として花街に残り、芸事に精進して行く妓も有ると言った様子で、各々がそれぞれの道を新たにまた歩き始めて行きます。従って特に今は誰しもが舞妓から襟替えして芸妓となって行くのではなく、それ故に一人一人の舞妓の“先こう”がその妓の見納めとなることが多く、殊更に名残り惜しい思いに駆られるものです‥‥。        


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^「お母さん」

 路地の角を曲がる前にもう一度私は深く頭を下げて挨拶しました。視線の先では“お母さん”が、水が打たれ、白い清めの塩が見られる玄関先で、両手を揃えて深々と私に挨拶をして頂いていました。14〜5年前に初めてお会いした時から今も変わらないお母さんの姿です。
 最近は足が痛そうで滑らかに動作がしにくいにも拘わらず、また体調が悪そうでこちらが心配になる時にでも、私が「もうここで‥‥」と上がり框で見送りを辞退しても、底冷えのする風の冷たい日もうんざりする暑さ厳しい折にでも必ずわざわざ玄関先まで出て来られ、姿が見えなくなるまで見送られる。恐縮の思いで早足に通りの角へ辿り着き、お母さんのその姿に「有難うございます」といつも心から挨拶せずにはおれないのでした。

 祇園のこの御茶屋さんでは、名をなした絵描きさん達が昔から出入りされていたそうで、今も変わらず絵描きさん達の写生のための世話をずっとして来られています。駆け出しの私もここで何枚も何枚も何枚もの“舞妓”の写生をし、また言葉にならない沢山のことを吸収させて貰いました。
 背筋がピンとして着物姿も凛々しく粋(すい)な姿のお母さんに始めてあった頃を思い出しては、いつまでも元気であって欲しいと心から願っております。私にとっても心大切な“祇園のお母さん”ですから。


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